久々のサバゲー

場所は土倉鉱山跡で行った。
土倉鉱山とは…以下、土倉鉱山で生まれ育ち、
そこを故郷とする白川雅一氏の執筆から引用。

土倉鉱山は明治40年に銅鉱脈が発見され、同43年に田中鉱業(株)という会社の経営で銅が採掘されたのを始まりとしている。その後、昭和9年に日窒鉱業が鉱山を買収し機械を取り入れ近代化された。その時の採掘場所は、今の鉱山跡より2kmほど北に位置しており、住民たちもそこに建てられた丸太の柱で杉板一枚の壁という、隣の物音まるぎこえの簡易な長屋で生活をしていたという。しかし昭和12年に日支戦争が始まって地下資源の増産が必要になったことや、雪による度重なる災害を防ぐ為などから、山を下った現在の鉱山跡地となる所に新たに坑道が開かれたのである。そして、それとともに住居もそちらの方へ移されていった。豪雪地帯であるこのあたりの雪の被害は大変ひどく、昭和に入ってからも昭和9年(4名)、同11年(6名)、同14年(10名)、同15年(10名)と多数の犠牲者を出しているが、鉱山の中心が今の場所に移されてからは、雪の恐怖からもかなり解放されたようである。
その後、全ての設備をそちらに移して本格的に操業されるようになり、月産100トンを処理できる選鉱場が昭和17年に建設された。そして昭和32年頃には200トン処理に拡張され順調に発展していくのだが、昭和38年の銅鉱石の貿易自由化による海外からの安い鉱石の流入、それに加えて期待をこめて先に開発されていた鉱床の思わぬ低品質、などから採算が合わなくなり、ついには昭和40年に閉山という運命をたどる。
私が生まれるちょっと前まであったんだね。
よくこの状態を保っているものだ。

この周辺では携帯は圏外(SB)。
しかし、この要塞具合とジャングル具合(ブッシュという)がちょうどいい。
総勢、12名での参加。残念ながらメンバーは写すことは出来ません。
でも、久しぶりだだったので楽しかった。
アラフォーには過酷な運動である。太ももガクガクになった。
帰る時には既に太もも筋肉痛。手の甲にアザも出来ていた。
明日はきっと階段降りるのがしんどいだろう。
あさっては…あぁ年だな。陸上自衛隊の人はすごいなと思うね。

昼飯は鍋!、半分はこれが楽しみ。
3種類の市販の鍋用出汁に野菜だ豆腐だ納豆だキムチだいれて…
ワイルドだろ?…非常にうまかったw。しめにラーメンを入れて!
みなさんありがとう、そして、お疲れさまでした。

コメント

  1. バックショットで、エクスベンダブルスばりに撮るってのはどうでしょう?

    返信削除
    返信
    1. それいいね!次回そうしよう。
      筋肉痛がひどくなっています。

      削除

コメントを投稿

人気の投稿