ヤマザキマザック美術館

工作機械メーカーであるヤマザキマザックの創業者である、
山崎照幸が収集した美術品コレクションを公開展示してある美術館。
名古屋市営地下鉄 東山線 新栄駅から直結している。
この隣にヤマザキマザックのビルがあるが、
その1Fにあるマザック工作機械ギャラリーの受付嬢2名が
めっちゃ奇麗だった。レベル高いぞヤマザキマザック。

美術館の入場料は大人一人1,000円、今回は招待券を2枚いただいたので、
妻と2人で行ってみた。音声ガイダンスの機械を無料で貸し出ししている。
以前ルーブル美術館で音声ガイダンスを借りずに見てみたが、
説明無しでは全く分からなかったため、今回は借りてみることにした。
音声は女性や男性の声でしっとりと解説、
時にはクラシックのBGM付きで解説してくれる、
素人にも非常に分かりやすい内容であった。
解説No1の作品
「薔薇色のローブを着た女」1918年
画家ピエール・ボナール 1867-1947
ボナールは最愛の妻マルトを数多く描いている。
この作品は新聞を読む妻のローブに当たる光をモネ風に描写。
陰になっている顔をルノワール風に絵の具を重ねている。

「アウロラとケファロス」1745年
画家フランソワ・ブーシェ1703-1770
この作品に描かれているアウロラはローマ神話の曙の女神。
2頭の馬に引かれた凱旋車から身を乗り出し、人間の若者ケファロスを
腕を伸ばして抱きすくめ誘惑の視線を投げかけている。
ルイ15世の寵愛を受けたポンパドゥール公爵夫人旧蔵との言い伝えがある。

「からかい」1736年
画家ニコラ・ランクレ1690-1743
ランクレは18世紀前半に活躍した風俗画家。
村娘が昼寝する男の顔を麦の穂でくすぐる様子を描いたこの作品は、
ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの居室のために描かれた数点
のうちの一つ。

「野営」制作年不詳
画家ジャン=バティスト・パテル1965-1736
作者の父親は彫刻家アントワーヌ。
軍装を解いた兵士が酒を飲み女性に言い寄る者もあれば、
それを笑うもの、踊るカップルもいる。
兵士たちの陽気さを表している。

「夏の木陰」1715年
画家ジャン=アントワーヌ・ヴァトー1684-1721
作者は37歳で他界したにもかかわらず、
同時代に計り知れない影響を与えてた画家である。
木陰に隠れた2組のカップル。
二人の衣装は同時代のパリ市民のものではなく、
当時人気を博した舞台衣装と言われている。

「兎と獲物袋と火薬入れ」1736年
画家ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン1699-1779
シャルダンは静物画家ありふれた物を描きながら、質感の充実した
表現によって静物画の新境地を切り開いた。
「色彩の魔術」といわれた厚塗りの絵の具描写である。
打たれた兎や、使い古された皮鞄の質感がすばらしい。

「ジャッツ夫人とふたりの子供」1707年
画家ニコラ・ド・ラルジリエール1656-1746
18世紀初頭、ヴェルサイユの宮廷人やブルジョワジーが
権力や財力を視覚化するために肖像画を残した。
モデルは貴族アンドレ=ニコラ・ド・ジャッソの妻と
娘たち。生き生きとした表情や、光沢のあるビロードやサテンの輝き、
艶やかな髪の毛、繊細なレース表現がすばらしい。
夫人の父はルイ14世の秘書官。

「狩りの衣を着たマイイ伯爵夫人」1743年
画家ジャン=マルク・ナテイエ1685-1766
この作品の夫人はルイ15世の寵愛を受けたが、
その魅力は容姿ではなく、ファッションセンスと
優しく控えめな性格だったという。

「恋文」1745年
画家フランソワ・ブーシェ1703-1770
この時代で女性の裸体を描いていいのは、神話など
物語のみとされていた。左上から女性を見下ろす若者が
送ったラブレターを読む女性の姿である。

「ルイ14世の食卓のモリエール」1860年
画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル1780-1868
この作品はアングルが80歳のときの作品。
ルイ14世が喜劇作家のモリエールを食事に招待した時の画。
国王は右手を差し出し家臣たちに、モリエールに敬意を払えというが、
家臣たちは身分の低い者が国王と同じ食卓に着くことを戸惑う様子。

「波、夕暮れにうねる海」1869年
画家ギュスターヴ・クールベ1819-1877
奥の静けさから手前の怒涛へと姿を変える海を描いている。
場所はフランス北西部の海岸の街エトルタ。
この時代風景画といえどもアトリエで描くことが主流だったが、
クールベは出かけて行き外で描いた。

「メレヴィル庭園の眺め」制作年不詳
画家ユベール・ロベール1733-1808
画家は庭園デザイナーでもあり、この画の庭園も手がけた。

「アムステルダムの港」1874年
画家クロード・モネ1840-1926
モネはパリの生まれだが、家族がノルマンディーの港へ
引っ越したため、少年時代をこのセーヌ川河口にある港で過ごした。
モネが海辺や川辺の画を描くのはこの影響である。
海辺の繊細な光の反射を描写する際に、
絵の具を混ぜてしまうと濁ってしまう。
そこで、モネは絵の具を混ぜずに重ねることにより、
離れてみた際に色が重なって見えるように描写した。

「ポール・アレクサンドル博士の肖像」1909年
画家アメデオ・モディリニアーニ1884-1920
この画家はイタリアにユダヤ人として生まれ、
後にパリのモンパルナスに来た。
画家が集まる場所である。
面長の肖像画を描くことで有名である。
この作品は作者を支えた医師である。背面には
同画家の作品「ユダヤの女」である。
「書斎にて」1927年
画家エドゥアール・ヴュイヤール1868-1940
19世紀末から20世紀にかけて、パリの画壇には多様な傾向の
美術が誕生した。印象派以降の点描は派、象徴派、アールヌーボ、
ナビ派、野獣派、立体派など。この作者は親密派として、
上流階級の邸宅に飾る為に依頼があったという。
この作品はパリ社交界で知られていたラウル・ド・リッチ伯爵の妹
リヨン夫人の注文。椅子にかけている右側がその夫人である。

この美術館には絵画以外にも展示がある。
写真は食堂用家具。
作者ポール・アレクサンドル・デュマ
作者は1900年のパリバンコク博覧会にオフィス家具や書棚、
暖炉のあるリビングを出品したことで知られるデザイナー。
曲線を多用したアールヌーボ(新しい芸術)様式として有名である。

「飾り棚」1904年
作者ルイ・マジョレル1859-1926
元は陶芸家。父が手がけていたルイ15世様式の家具製造を継承。
1894年からアールヌーボ様式へ移行し、様々な木を合わせて、
模様を描く象嵌細工が主体になっていた。

「食器棚」1904年
作者ジャック・グリュベール1870-1933
作者はステンドグラスデザイナーとして知られた。
家具のデザインや本の装飾、グラフィックデザイン、
登記の原型制作など多ジャンルで活躍した。
食器はマイセン1850-1860、家具はルイ・マジョレル1900-1905

「トンボのテーブル」1897年
作者エミール・ガレ1846-1904
当時、ガラスと陶器の世界に現れた新進デザイナー、ガレ。
ガラスの台座に使う木材を選ぶうちに銘木の質感に魅了され、
家具分野の進出を決めたという。
自然界にインスピレーションを求めることで造形の革新が果たせる
と訴え、動植物を観察してその形態をデザインにした。

「タンス」1900年
作者エミール・ガレ
林と水辺の景色を象嵌で表現した。
松、蝉、フクシアの花、小鳥ガレならではの作品である。

「獅子型植込鉢」1880年
エミール・ガレ

「花器」1889年
エミール・ガレ
器の縁には文字が彫られている。
”謙譲はすみれの美徳”と彫られている。
「蝶にカラスムギ文花器」1890年
エミール・ガレ

「緑色の善良な小市民」ペン皿
エミール・ガレ
葉の上で向き合うカエルと虫。
弱肉強食に生きる小さな生き物たちを表現。
この頃の作品は北斎漫画の影響も受けている。
カエルのポーズは北斎が描いたカエルである。

「トンボ文脚付杯」1904年
エミール・ガレ
トンボを主題にした脚付杯は晩年のガレを代表する作品。
水中で生まれたヤゴが成虫となって空を飛び、地に落ちて
死んで行く様を表現。自分と照らし合わせたのでしょうか。

「タツノオトシゴ文花器」1903年
エミール・ガレ
ガレは晩年に、生命の母なる海中世界にも関心があった。
タツノオトシゴの形をしたガラスを熱いうちに後付けし、
削ることで模様を生み出す。海藻はエッチングで表現。
揺れている感じを出した。

ヤマザキマザック美術館と聞くと、
工業系の展示物なのかと思っていたが、
なかなか立派な美術館であった。
今回は著作権保護の作品は掲載できなかったが、
ピカソやロダン、シャガールなど
興味深い作品も多くあった。
音声ガイダンスがあるのは珍しいので是非行ってみてください。


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