妻籠宿(つまごしゅく)

妻籠宿も室町時代末期には宿場町として成立していたと推定され、
関ヶ原の合戦の際には中山道を進軍していた徳川秀忠は
妻籠宿で東軍の勝利の報告を知ったと言われていた。
江戸時代に入り中山道が整備され慶長7年(1602)に
宿場として67宿を制定し、妻籠宿は正式に宿場町として
認められた。妻籠宿には本陣、脇本陣、問屋が置かれ、
江戸時代初期までには口留番所が設置されるなど
重要視され大平街道が交差していた交通の要所として
多くの人達が行き交った。妻籠宿は大きく宿場、寺下、在郷と分かれ、
宿場では木造2階建て、切妻、平入りで2階部は出桁造りで
張り出し、比較的間口の広い建物で構成されている。
寺下は光徳寺の門前町として発展し上・下嵯峨屋など間口が狭く
比較的規模の小さい町屋で構成され、在郷は農家建築と町屋が混在する。
妻籠宿は明治時代以降、主要交通が街道沿いから外れた為、
現在でも旧中山道宿場町の町並みを色濃く残り昭和51年に
重要伝統的建造物群保存地区に昭和56年長野県自然保護条例の
郷土環境保全地区に指定された。
本陣、脇本陣は公儀の旅に備え宿泊、休憩のための
施設として宿場には必ず設けられていた。
林家(奥谷は屋号)は木曽谷を支配していた木曽氏に従う武士。
木曽氏が上総国へ移封の際従わずこの地に土着し、
関が原の合戦時には山村氏に従い徳川秀忠の中山道進軍に
助けた功で妻籠宿脇本陣(問屋)を務める事になった。
江戸時代中期頃から酒造業を行い妻籠宿随一の豪商となった事で
度々庄屋を勤める事となり天保12年(1841)以降は
林家が庄屋となり、江戸時代末期には皇女和宮が
明治13年には明治天皇が林家(奥谷)を御小休所として利用した。
代々脇本陣・問屋を勤めた家で、
現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い、
当時の粋を集めて建てたもの。
また、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもある。
平成13年6月、国の重要文化財に指定。
あえてモノトーンで。
玄関を潜ってすぐ左側に条件が揃えばこのような光景を目に出来る。
格子戸の隙間から居間へ向かって差す光。
囲炉裏の煙が光の筋を強調してくれる。
この写真、時間は10:45頃。
まだ光の傾きが鋭角である。
この時期だと11:30〜12:00頃がちょうどいい感じになるようだ。
あと1時間位なので、資料館や本陣をみてから来よう。
案内人のお姉さんがいろいろ説明してくださる。



明治天皇が御成りになられた際、新調した家具などの一部。
一切釘を使用していない組み立て式の作りになっている。


明治天皇用に新調したお風呂場。
水滴が脇へ流れて落ちてこないように工夫してある。



脇本陣に隣接する資料館。昔は蔵として使用されていた。

妻籠のジオラマ

資料館を出ると正面が本陣

宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、
明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤める。
島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、
馬籠から伯父の所へ養子にきた広助(ひろすけ)でした。
 本陣は明治に入り取り壊され、
その後明治32年に御料局妻籠出張所が建設される。
 本陣の復原は妻籠宿の保存が始まった当時からの念願であり、
島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに、平成7年4月に復元される。










さぁ、再度脇本陣へ戻ってくる。

おぉいい感じになってきた。
11月後半になると、太陽がもっと下がってくるため、
この光の筋が囲炉裏までかかってくる。
それが一番きれいで幻想的に見えるようだ。
天候がよく、太陽が雲に隠れない状況の日で、
午前11:30〜12:00の11月後半が狙いめ。

脇本陣の受付にいらっしゃる女性が非常に親切で、
カメラマンがいい写真を撮れるように、
煙の量や向きの調節や、光の具合まで見てくださる。
ちょっと雲がかかると光が射すまでの間、
こんなんどう?と障子戸をあけてくれると、
なんということでしょう!すばらしい写真が撮れました。
撮影の際に囲炉裏の炎があった方がいいからと、
火まで起こし直してくださる。
至れり尽くせりとはまさにこのこと。
ありがたいです。
煙でいぶされた居間は虫が寄り付かず、
檜が黒くすすで色が変わる。
これを雑巾かけすると黒光りになる。
手の届く範囲はこんな感じになるのだ。
みよ!この渾身の一枚!
笠とのコラボレーションもなかなか!


人が少なければもっといい雰囲気ですが…

若干モノトーンでタイムスリップをどうぞ。



入り口に街道を直角に二度折り曲げた所がある。
これを「桝形」といった。
宿場の出入口には一種の城塞の役割が設けられた。
本来宿場が軍事的な目的をもって作られていたことを示している。

寺下の町並み





休憩がてら入ってみる。

これが五平餅!?
よくみる平たい形と違うね、でもこっちの方がうまい!



軒先にへちま?


高札場(こうさつば)

宿場の入り口にある。
幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したもの。
お上のご威光そのままに、人々を見下ろすように高札としている。


おみやげに栗きんとんを購入。御上品な甘さでした。

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