馬籠宿(まごめしゅく)
中山道69宿のうち木曽には11の宿場があり、
馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目になり、
江戸からの距離は332kmになる。
道路が南北に貫通しているが急な山の尾根に沿っているため、
急斜面で、その両側に石垣を築いては屋敷を造る
「坂のある宿場」である。
山の尾根のため水に恵まれておらず、火災が多い。
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1里は約4kmである。 |
連休だからか、やたらと観光客が多く、 情緒も何もあったもんじゃない。 |
晩年の藤村像 |
心を起そうと思わば、まず身を起こせ |
一部工事中の一角があり、またまた情緒に欠ける。 |
馬籠の町並み自体はそれほど長くないが、 南の馬籠館から南側と、 北の高札場から北側はかなり遠いので注意。 このまま妻籠宿まで歩いてみよう!とは軽々しく思わない方が良い。 |
馬籠の町並みをさらに南下すると正岡子規の句碑がある。 ただし、ここまでの道のりは遠く、 歩くのはお勧めしない。 車でも5分はかかるので注意。 |
この景色を見て、正岡子規は以下の句を詠んだ。 |
桑の実の木曽路出づれば穂麦かな |
正岡子規の句碑をさらに進むと、一里塚がある。 |
幕府が街道を整備するとき、一里(4km)ごとに道の両側に 土を盛った塚を築いて旅の行程や駄賃・運賃の目安とした。 塚の上には榎や松の木を植えてその目印にした。 現在馬籠宿と落合宿の境にこの1基が残っている。 中山道では唯一の遺跡である。 |
中山道は続く。 |
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