横山祖道 千曲川旅情のうた
先日実家へ帰省した際、父から横山祖道という
僧侶に出会い、譜面をもらった話を聞いた。
昭和45年6月に私の父は
長野県小諸市懐古園(旧北国街道)
へ訪れた。島崎藤村記念館があるところだ。
当時、そこには横山祖道(よこやまそどう)という
曹洞宗の徳の高いお坊さんが寺も持たず、
弟子も持たず、全国行脚の修行した僧侶がおり、
晩年を小諸市懐古園で22年間、
草笛を吹きながら生活していた。
横山祖道
明治40年(1907年)宮城で生まれ、
小学校3年生の時、草笛を覚える。
昭和12年(1937年)澤木興道師のもとに出家する。
以来、様々なお寺で修行を重ね、
昭和23年(1948年)信濃貞祥寺へ
この時、祖道師は、
島崎藤村の『千曲川旅情の詩』の一節、
「~暮れゆけば浅間も見えず歌哀し 佐久の草笛・・・」
の部分にたいへん感銘を受け、
以来、小諸を終生の地と決める。
その後、京都の安泰寺に8年、仙台にて静養を経て
昭和33年(1958年)信濃小諸市懐古園に訪れる。
昭和55年(1980年)同地にて生涯を終える。
享年74歳。
小諸市懐古園で22年間もの間、
座禅を組み静かに草笛を吹いていた横山祖道。
どうやって生活していたのか?
草笛を聞いた観光客からお布施をもらったり、
草笛の楽譜を求める観光客へ譲り、
そのお布施で自炊生活をしていたようです。
昭和45年6月に父が小諸市懐古園に訪れた時は
まさに、横山祖道が草笛を吹いている時。
祖道師が63歳の時である。
父もその草笛を聞き、お布施として
当時としては高額な1,000円を渡すと、
祖道師は喜んで以下の譜面をくれたそうだ。
上記のような生活をしていた中で1,000円は、
大金であったのは間違いない。
見てみると全て横山祖道の直筆。
確かに、祖道師が感銘を受けた
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
作曲 弘田龍太郎とある。
安芸市土居出身の作曲家である。
大正14年(1925年)に作曲したものである。
作詞はもちろん島崎藤村。
これを横山祖道が書いたものである。
他にも
この楽譜に至っては数枚あった。 藤村 若菜集 初恋 |
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへ(え)しは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ(い)初めしはじめなり
-----以下譜面下部-----
林檎畑の樹(こ)の下に
おのづ(ず)からなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひ(い)たまふ(う)こそこひ(い)しけれ
作曲 大中寅二とある。
世に有名なのは、
島崎藤村作詞、大中寅二作曲の
「椰子の実」
名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ
であるが、藤村作詞 初恋を
大中寅二が作曲したのかはよくわからない。
大中寅二は明治29年(1896年)〜昭和57年(1982年)
であるから、祖道師とのつながりがあったかもしれない。
大中氏が小諸市懐古園に訪れ、祖道師のために
初恋を作曲したとか・・・
型崩れしないように封筒に入っていた厚紙
これも懐古園にある藤村の句碑にあるものだが、
この句碑は横山祖道が揮毫(きごう)したもの。
句碑には
雲水乃 草笛哀し ちくまが和 旅人詠
とあるが、厚紙のは
雲水乃 草笛哀し 千曲川 旅人作
「草笛禅師 横山祖道 人と作品」抜粋
「懐古園で修行を始めた直後の昭和33年5月、
旅の立派な服装をした紳士に
藤村碑の前で草笛を吹いてあげた。
吹き終わって名詞をいただいたら、
『山形県西置賜郡小国町 町長 今新策』とあった。
この方が帰宅後、俳句を作って送ってよこした。
『藤村記念館付 草笛の主』として。
それには、『雲水の草笛哀し千曲川』と
もう一つ
『草笛に詩人(うたびと)は眠る古城かな』とあった。
『千曲川』の方をとって
『旅人作』として幾度か書にした・・・」とあります。
つまり、父が持っていた厚紙に書かれたものは
この一つと思われます。
この封筒に上記全てが入れてあった。
内容は、藤村 若菜集 初恋の一節。
林檎畑の樹(こ)の下に
おのづ(ず)からなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひ(い)たまふ(う)こそこひ(い)しけれ
そして、月日が流れ最近、再び父は小諸市懐古園へ
訪れた、そこには聞き覚えのある草笛の音が流れていた。
当然、横山祖道は居ないわけだが、その正体は
これである。
あのときの僧侶ではないか!
その話を懐かしむように父は話してくれた。
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